ヒアルロン酸ナノゲルを基盤とした次世代ワクチンデリバリーシステム作用機構の解明

  1. 「予防ワクチン」と「治療用ワクチン」
    皆さんは、ワクチンと聞いてまず何を思い浮かべるでしょうか。最近では、多くの方が新型コロナウイルス(COVID-19)のワクチンをまず思い浮かべるかもしれません。他にも季節性のインフルエンザウイルスワクチンや肝炎ウイルスワクチン、幼少期に結核のBCGワクチン、風疹、おたふく風邪等のワクチンを接種した記憶がある方も多いかもしれません。これらのワクチンは全てその疾患にならないよう、感染症を予防するための「予防ワクチン」で、がんに対しても子宮頸がんの予防を目的に、その原因となるヒトパピローマウイルスに対する予防ワクチンが日本でも承認されており、全国の医療機関で接種されています。
    一方で、がんの治療を目的に「治療用ワクチン」の臨床研究が世界各国で行われており、海外では既に承認され、患者の治療に使用されている国もあります。当講座でも以前より「がん治療用ワクチン」を用いた「がんワクチン療法」について研究しており、ワクチン単独あるいは他のがん免疫療法と併用した「複合的がん免疫療法」の開発研究を行っております。
  2. がんワクチン療法 新型コロナウイルス(COVID-19)には目印となるウイルス由来の特異的蛋白が存在し、これらを標的とした治療薬の開発が現在世界各国で行われておりますが、がんにも特異的に発現する抗原蛋白が存在し、これらは「がん抗原」、「腫瘍抗原」、「腫瘍関連(特異)抗原」、「腫瘍変異抗原(ネオアンチゲン)」等と呼ばれています。1991年に初めてメラノーマ由来のMAGE-1が同定されて以降、これまでに多様なタンパク質やペプチド、核酸(RNA/DNA)等の腫瘍抗原が同定されてきました。「がんワクチン療法」は、これらの腫瘍抗原をワクチン抗原としてがん患者に繰り返し投与することで、体内で腫瘍特異的免疫応答を誘導し、腫瘍の増殖抑制効果を期待する治療法です。
  3. ヒアルロン酸ナノゲルを用いたワクチンデリバリーシステム
    がんワクチンは一般的に皮下、皮内又は筋肉内投与されることが多いのですが、がん患者の免疫抑制環境において腫瘍特異的免疫応答を誘導するには、がんワクチンを近傍リンパ節に効率良く送達し、リンパ節で抗原提示細胞がT細胞に抗原を提示できる環境を創出することが重要で、治療効果の向上に結びつくと考えられます。がんワクチンに利用されるタンパク質、ペプチド、核酸の多くは、一般的に安定性が低く、体内に投与しても分解、失活しやすいという性質を持っています。そのため、現在ワクチンを目的の部位に安定して送達し、徐放できるドラッグデリバリーシステム(DDS)の開発が求められています。我々は、これまでに中外製薬や京都大学と医薬工連携でワクチンデリバリーシステムの探索研究を行い、「ヒアルロン酸ナノゲル」(旭化成)がDDSキャリアとして有用であることを見出しました。
    ヒアルロン酸は、医療や美容分野において幅広く用いられており、医療機関やテレビで一度は耳にしたことがある方も多いかもしれません。ヒアルロン酸ナノゲルは、親水性のヒアルロン酸基と疎水性のコレステリル基を有し、自己会合して数十nmのナノ粒子状のナノゲルを形成します。架橋された三次元網目構造と疎水性相互作用により、タンパク質やペプチド、難溶性の低分子化合物を容易に包埋封入することが可能で、安定して目的の部位に包埋物質を送達、徐放でき、新規DDSへの応用が期待されています (図1)。我々はヒアルロン酸ナノゲルとペプチド腫瘍抗原を複合化したヒアルロン酸ナノゲルがんワクチンを作製し、マウスに皮下投与したところ、迅速かつ高効率に近傍リンパ節に移行することを見出しました。これらの結果より、ヒアルロン酸ナノゲルワクチンがリンパ節への抗原の選択的送達、分布や抗原提示細胞への取り込みにおいて、非常に優れている可能性が示唆されました。
  4. ヒアルロン酸ナノゲルワクチンの複合的がん免疫療法への応用
    現在世界各国でがんワクチンの研究開発が行われておりますが、その効果はまだ十分に満足できるものではありません。その原因については様々な理由が考えられますが、我々は前述のようにがんワクチンのリンパ節や腫瘍局所への効率的なデリバリー技術が極めて大事であると考えており、その改善向上と実用化を目指し、ヒアルロン酸ナノゲルによる難溶性抗原の可溶化とこれらの標的抗原を複合化したがんワクチンの開発研究を行なっています。また、これまではワクチンの標的抗原に腫瘍関連抗原等が一般的に用いられてきましたが、現在我々は個々のがんゲノムの変異に由来する変異抗原(ネオアンチゲン)を標的とした個別化がんワクチンの開発研究にも取り組んでいます。
    さらに、がんワクチン療法においてがんワクチンDDSの開発研究が重要であるとともに、もう一つの課題は、エフェクター細胞の安定した供給です。多くのがん患者の免疫環境は抑制環境にあり、いくら良質ながんワクチンを患者に投与し、腫瘍抗原をT細胞に提示できたとしても、腫瘍細胞を直接アタックできるT細胞が少数限定的では、効果が期待できません。そのため、より治療効果を上げるために、現在我々はがんワクチン療法と他のがん免疫療法、とりわけT細胞輸注療法を併用した複合的がん免疫療法に取り組んでおり、非常に有効な結果を得つつあり、その作用機構について精力的に研究を進めております(図2)。
    (文責:百瀬)